千葉県船橋市指定文化財:有形文化財(彫刻)と史跡(附)の木造地蔵菩薩坐像
1.5mほど土を積み上げた土手のような所にあります
13程の石段を登ると地蔵尊が見え。。。曇り日で残念
お神酒がありました。地元の方に大事にされています
二体の地蔵は吉橋組大師講八十八ヶ所の三十五番目と四十一番目
また、二体地蔵は、千葉県八千代市吉橋を中心とした地域で行われていた88ヵ所霊場札所巡りの35番目(ゆるぎ地蔵尊)と41番目(木っぱ地蔵)でもあります。
青の座標をクリック(タップ)すると詳細情報が表示されます。地図を拡大したり移動することもできます。
ゆるぎ地蔵尊・木造地蔵菩薩坐像の姿と製作者
座った独坐の姿で172cmとかなり大きく、そのぶん頭も人の2、3倍あるように感じますがもしかするとお地蔵様の温かく優しく感じる表情からそう思えるのかもしれません。一本の木で造られているそうで、製作者は江戸時代の木食僧 (もくじきそう) の一人「観信」という方で、この木食僧とは火食や肉食を避けて、木の実や草のみを食べる修行を受けた僧のことだそうです。
天候が悪く中が良く見えませんでした泣
明るいとこのように見える|写真:船橋市
作者の観信については資料が少なく、1749年に書かれた「葛飾記(かつしかき)」に観信が開いた高幢庵 (こうとうあん 場所:千葉県船橋市薬円台) について記されてあり、そこに地蔵菩薩像が制作したと記録が残っているそうです。ただ諸説あるそうで他の専門仏師が作った可能性もあるとの事。
名前の由来と地蔵の誕生
この木造地蔵菩薩坐像は「ゆるぎ地蔵尊」と呼ばれ、その由来は江戸時代にさかのぼります。当時この場所に「揺(ゆる)ぎの松」と呼ばれる古い松の木があったそうで、その松の枝は谷をおおったというほど大きな巨木で、根元は地面から浮いたような状態で、その根元をくぐると幹や枝先が揺らぐ事からその名が付いたそうです。
船橋市指定文化財:木造地蔵菩薩坐像の説明
ゆるぎ地蔵尊堂再建記念碑
そして残念なことにその揺ぎの松は枯死してしまいます。それを惜しんだ里人が木食僧 の観信に、枯死した松から大小二体の地蔵菩薩を彫刻してもらい、その一体がこの大きな「ゆるぎ地蔵尊」になります。1723年 (享保8年) に作られたと言われています。
もう一体の小さい方は「木っぱ地蔵」と呼ばれ、千葉県船橋市の薬円台にある観信が開いた高幢庵(千葉県船橋市薬円台1-4-26)にあります。指定史跡の観信の墓もあり、木っぱ地蔵はその附(添え加える)となっています。
この「ゆるぎ地蔵尊」のある 千葉県船橋市飯山満町2-744-1 から 「木っぱ地蔵」の 千葉県船橋市薬円台1-4-26 までの距離は車で9分(2.7km)、徒歩で28分(2.3km) 程度です。
木っぱ地蔵|写真:船橋市
お堂横にあった2つの石碑があり、吉橋組大師講の?
吉橋組大師講八十八ヶ所の三五番と記?
小さい方には吉橋組大師講八十八ヶ所と記?
現地・ゆるぎ地蔵尊を訪れて
ゆるぎ地蔵尊のお堂周りは工事中で、お堂後ろに雑木林は無くなって、前と比べると少し雰囲気が変わったようです。また、今回行った日があいにくの曇り空で写真写りがいまいちでした(泣)。木っぱ地蔵のお堂の写真も掲載していないし、また天気の良い日にでも再チャレンジ!引き続き情報をアップデートして行きます。それと、お堂横にある石碑の情報がよく分からなく、もし石碑の情報などご存じの方は、こちらから情報お願いいたします!
その他に、このゆるぎ地蔵尊のお堂の前には木に囲まれた「弁財天の祠(べんざいてんのほこら)」がありました。存在を予め知らないと見落としてしまうほどひっそりとあります。この「弁財天の祠」についても詳細をご存じの方は情報をお願い致します。
弁財天の祠
実は千葉の事は全然知らない千葉ビギナーです。なのでいろんな事や場所がとても新鮮で、素人目線で千葉の事をご紹介できたらと思っています。とは言っても、そんなに行動範囲は広くなく隅から隅までとは行きませんが、隣県・他県の方や、外国の方を意識して情報を配信できたらと思っています。ニックネームのデニムはデニム好きから(笑)。よろしくお願い致します。